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家庭連合・教育部長ブロガーへの質問 - 神々の黄昏

2019/07/25 (Thu) 21:57:08

 日本ブログ村・家庭連合カテゴリーで常にINポイントがNo.1である‘いつも私のとなりに神さま’ブログの下の記事を読んで馬鹿さ加減に呆れ返り、質問のコメントを投稿しました。
 コメントが無視されて返答がない可能性のほうが大きいのですが、いづれにしても、その記事によって家庭連合教育部長の知的レベルの低さを証明できますので、以下に投稿したコメントを紹介します。

 http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/468090626.html

>不安と怒りの背景には孤独があります。
そして、歴史上、一番孤独であられた方が、神様です。
 
>もともと人間の不安は良心の呵責の中にありましたし、
怒りは防御反応などとして、喜怒哀楽の原型は存在していました。

 大知勇治という教会員の書物を紹介しているようですが、自分のブログに無批判にその一部を掲載しているのであれば、当然その内容に同意しているものと思われます。
 であるならば、是非私の質問に答えてください。

〇最初に引用した文には「不安と怒りの背景には孤独があります」とありますが、それは何を根拠にそのように言えるのですか?

 一般的には「心配に思ったり、恐怖を感じたりすること」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89
が不安なのであり、心配する対象や恐怖を感じる対象がないならば、不安を感じることはあり得ません。孤独は一般的に他者との関係が絶たれた状態を意味しますから、むしろ孤独であるならば心配や恐怖は思いとして表われづらくなるのであり、外界の環境や人と関係をもっているからこそ心配が生じたり、恐怖が生じたりするのです。そして、その心配や恐怖が不安となって表れるのです。
 確かに、経済的に不安がある人や周りの人に強い怒りを持っている人は孤独に追いやられることがありますが、その場合は孤独は背景にあるのではなく、後から結果として生じた状態を意味しているのです。
 大知勇治という人の言葉の使い方は余りにもいい加減です。もしいい加減ではないと言うなら、是非、上の質問に答えてください。

〇また「歴史上、一番孤独であられた方が、神様です。」と断定的に述べられていますが、大知 勇治という人やあなたはそれ(神様が孤独であること)を証明できますか?

 原理講論の創造原理では神は被造世界に対して、性相的な男性格主体となっていて、神と人間及び被造世界は存在として一心同体の関係になっているはずですよ。
 仮に神様の理想と人間社会の現実に乖離があったとしても、神様が不満を感じることはあっても、孤独など感じるはずがありません。それは創造原理から導かれる結論であり、たとえ人間が神を心で感じ取ることができなかったとしても、神の‘心’は違っているのです。間違っても孤独など感じることはないのです。
 いい加減な言葉で神を語るのは止めてください。
 もしいい加減でないというなら、それを実証してください。(文先生のみ言にあるから、などという子供じみた返答は止めてくださいね)

〇また「もともと人間の不安は良心の呵責の中にありました」とありますが、どうしてそんなデタラメが言えるのですか?
 「不安」とは上に引用したウィキペディアに書かれているようなことを言うのであって、それと良心の呵責がどう結び付くのですか、是非教えてください。

 因みに、良心の呵責と罪悪感は意味が違うので間違わないでくださいね。
https://meaning-book.com/blog/20190318155635.html

 常識的に考えれば、「もともと人間の不安」は自然界との関係から生じたのであり、自然界との関係で生きてきた人間にとって、自然は衣食住の資源を得ることもできたが、自然環境の変化で、それを得られないこともあったのです。とりわけ原始時代の人間は自然をコントロールすることが難しく、気候変動などが起きれば、即生命の危機に直面したのです。
 自然の力の脅威を体験した人間にはおのずと不安の感情が生まれるようになり、その脅威が人間の「不安」の原初でもあるのです。
 もしそのような常識が間違っていて、「もともと人間の不安は良心の呵責の中にありました」が正しいと主張するなら、常識的な考えのどこが間違っているのか分かりやすく説明してください。

 家庭連合の教育部長であることをブログで公表されていますので、間違ってもいい加減な返答はしないでくださいね。期待してレスコメントを待ってます。
 

Re: 家庭連合・教育部長ブロガーへの質問 - 神々の黄昏

2019/07/26 (Fri) 12:04:39

 予想通り、‘いつも私のとなりに神さま’ブログの管理人=千葉県・松戸家庭教会の伝道教育部長&総務部長は私のコメントを無視し、返答を拒絶しました。
 つまり、たとえ真剣な質問をしたとしても、彼には質問に答えられるだけの知能がなかったということであり、ブログに書いている記事は何も考えずに惰性で書いているということです。
 彼は日本家庭連合での役職を公表していますから、その態度は個人レベルで評価されるに止まらず、日本家庭連合の評価にもつながります。

 彼はブログの画面に「あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、教会本部の意向とは直接関係がありません。」と断りを入れていますが、そんな無責任なブログなら、自分の教団内での役職名など入れるべきではありません。
 もっとも私の簡単な質問にも答えられないような‘お利口さん’ですから、役職名を公表する意味などわからないのかもしれません。

 今回のコメント投稿によって家庭連合の公職者=教育部長の知的レベルが‘火の粉を払え’読者にはよくわかったと思います。
 つまり、澤田地平氏のブログの動画に出てくる暴力的教団職員のみならず、家庭連合職員の多くが、ガッカリするほど‘高潔な人格者’で‘お利口さん’ではないということです。

Re: 家庭連合・教育部長ブロガーへの質問 - 一見さん

2019/07/27 (Sat) 08:57:59

黄昏れさんの文章と、いつ~とな、、とかいうブログさんの文章は、わたしは読めない。
長くて面倒だから。すみません。
ただ、黄昏れさんの言う

>彼はブログの画面に「あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、教会本部の意向とは直接関係がありません。」と断りを入れていますが、そんな無責任なブログなら、自分の教団内での役職名など入れるべきではありません。
 

という文章には一理あるかなと思いました。
言動が矛盾してる、となると、何が言いたいんでしょう、やりたいんでしょう?ってなってきます。

自己満足にしてもそこに割く時間はあり、ひとつの趣味のようなものだとは思いますが、
その団体に対して、迷惑にならないんでしょうか。そのあたりも理解できない。

親切心から考慮すれば回答までの時間が要るのかもしれないですし、気長に待ってあげる必要もあるのかもしれないですけどね。おっしゃるようにスルーなのか。

待たされるならかなり忍耐ですが、それならそうと一言あってもいいじゃないかと思ってしまいます。

コメントは欲しがって、承認せんと載せない、という高飛車のようですから、私なんかは興味が湧くブログではないですが。
なんだか釈然としませんね。

Re: 家庭連合・教育部長ブロガーへの質問 - 神々の黄昏

2019/07/28 (Sun) 13:58:18

 ‘いつも私のとなりに神さま’ブログは一見さんがおっしゃられるように、統一教会系信者も含めて普通の人であるなら、とても興味が湧くようなブログではありません。
 一見さんにはその文章の長さも敬遠する理由の一つであるようですが、その文章の長さに抵抗がない人であっても、記事の内容の知的レベルの低さ、文章表現に個性が感じられないつまらなさ、などは呆れるほどであり、それにも関わらず興味が湧くとしたら、相当なアホです。
 米本さんによれば、彼が地方教会の教育部長をしているため、付き合いがある人がアクセスして、INポイントもその人たちが入れているということですが、そうでなければ、日本ブログ村でのあのランキングの順位はあり得ません。
 しかし、彼は正直言って、本当に頭が悪いと思います。
 「あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、教会本部の意向とは直接関係がありません。」という断りの文章においても、まともな人ならそんな言葉の使い方はしません。
 普通なら「あくまで個人の趣旨に基づいて、書いているものであり、教会本部の意向は受けておらず、内容は家庭連合の公式発表とは直接関係がありません。」と書くはずなのですが、いい加減な言葉使いしかできないのです。
 彼はおそらく自分の頭の悪さを自覚できていないと思います。だからあのようなつまらぬ記事でも恥ずかしくなくアップできるのだと思います。
 しかしお陰で、家庭連合信者の『幼稚思考の壁』を心理学的に研究する場合にはとても参考になります。
 

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